今週の聖句

「この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。」エフェソの信徒への手紙1章14

 

説教(要旨)

 4月21日

「神様の栄光」 佐野 治牧師

エフェソの信徒への手紙1章11~14節

 

本日の聖書箇所において、私たちを「約束されたものの相続者」と呼んでいます。「キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました」と言うのです。

イエス・キリストによって「神の子とされている」と言うのは、私たちに対する救いを告げる表現ともいうことが出来ます。そしてまた、エフェソの信徒への手紙の中の重大なメッセージです。そこには、約束されたものを相続するということが含まれているのです。

「約束されたものを相続する」とは、完成された救いを受け継ぐことであるのです。神の国を受け継ぐことです。私たちの死を受け止める信仰者の気構えとして、ヨブ記の言葉が挙げられます。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう」と、このようにヨブ記には記されています。「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」まさしく信仰者ヨブの言葉であります。しかし今日のみ言葉は、「約束された者の相続者とされた」と言います。「それは・・・神の栄光をたたえるためです」と言われているのです。

私たちは裸で生まれて、裸で去っていきます。地上の者は確かに何一つ持たず、何も携えていく訳ではありません。しかし神の子として相続者にされて、相続するものを神様から約束されて、与えられているのです。このことを私たちはしっかりと心に留めておくことが大切ではないでしょうか。

将来の相続の確かさは、実は今すでに現在の生活を変えているのです。もうすでに今、現在、将来の相続が保証されているのです。「保証」と言う言葉は、手付金と言う意味合いのある言葉であって、将来の相続は将来になって初めて一から手続きされるものではないですよ、と言うのです。もうすでに今現在、手付金を頂いています。つまり相続すべき財産にすでに一部与って生きているというのです。その聖霊を受けているのです。聖霊の保証によって約束されたものをすでに味わい、経験しているのです。救いの完成、神様の祝福、神の国の予兆を聖霊によってすでに経験し始めているのです。

 私たちはそれぞれ、日常生活において、慌ただしい毎日を送っているのではないでしょうか。疲れが出て、ストレスが溜まってしまうことも多いのではないでしょうか。そのような時に、主なる神さまは、私たちを招いてくださいました。「疲れた者、重荷を負う者は誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と言ってくださいました。神様の恵みの御業を見て、神様がキリストにおいてしてくださったその恵みを見て、感謝をするように導かれるのです。そしてその時、キリストに会って、十字架と復活の出来事において、一つとされるのです。私たちの冷えてしまった心を燃え立たせて、キリストの信仰に喜びをもってしっかりと立つものとして下さるのです。