2019年1月

 1月6日  

「わたしの心に適う者」

イザヤ書40章1~5、9~11節

  ルカによる福音書3章15~16、21~22節

 

 民衆が洗礼を受けたとき、イエスもその仲間に加わりました。罪とは無縁の御子イエスが、なぜ洗礼を受ける必要があったのでしょうか。イザヤ書の「苦難の僕」には、こう記されています。「彼が自らをなげうち、死んで、罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのはこの人であった。」(5312)。イエスは、「罪人の一人に数えられる」生涯の第一歩をここから踏み出そうとしています。それは十字架の苦難と死へ続く道でもあります。主イエスは民衆と一つになって、救いの道を共に歩もうとされます。イエスが洗礼を受けた時、3つの出来事がありました。まず「天が開け」て、天と地が一つに結ばれました。そして「聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た」のです。ペンテコステに先立つ聖霊降臨でした。そして天から「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞えたのは、十字架に上るイエスが、世に対する救いのしるしとなるからです。そして今日でも洗礼を受ける者には、天から同じ声が響くのです。